Generalpause
日々の出来事を思うままに、自分の言葉で…
これから
- 2014/03/07 (Fri)
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今日は、いろんなことを考えて、考えて、考えて。
全て生徒のことなんだけれども。
重たい重たい午後となりました。
学校ってね、いいところですよ。確かに傷つくこともあるでしょうし、お友達とうまくいかなかったり、いろいろあると思います。
けれども、そこで、学ぶんです。傷付いたことから立ち上がることとか、折り合えるところを見つけることとか。
多感な時期だからこそ、学んで欲しいのです。
上手くいかないことの方が多いかもしれない。でも、生きていく上で、人と関わることは避けられません。
それを学べるのが学校だったりします。
毎日のことですから、日常が出ます。ということは、互いのいいところも、そうでないところもさらけ出すことになります。
そうするとね、合わないなぁと思う人が出てくるんです。当然ながら。でもね、やはり、みんな人なんです。どこか必ずいいところがある。どう認め合っていけるかだと思います。
うちの音高は、それがあるんです。個性が強い生徒ばかりですから、二年生くらいまではなんとなくざわつくこともあります。でも、レッスンとかで忙しくなったり、同じ苦しみを経験する戦友として、認め合うようになります。だから、とっても優しいです。生徒達。
私が再三親御さんにお願いしているのは、「嫌だったら、やめていいのよ。どうする?」とすぐ言わないで下さいということ。その言葉を出すのは、最後です。
少しだけでもいいんです。頑張らせて欲しい。
嫌がるお子さんを見る自分が辛いから、というのは、その子の成長を止めます。すり替えず、共に立ち向かって欲しいのです。
親子で目標を決めて、ここまでは頑張ってみよう、そこに達したとき、もう一回考えよう、と猶予を設けてほしいのです。
すぐあきらめないで欲しい。
粘り食い下がる子供が減りました。どうせ、とか、だって、とか、でも、って必ず言います。私はこれを3Dとずっと言ってきているんですけど(笑)全部言い訳の始まりの言葉なんです。
説明は必要ですよ。でも、説明と言い訳は全然違います。
一番認めていないのは、
「どうせ私なんか」
これは、私、絶対に認めません。
気持ちはわかる。痛いほど。でも、それを言ってはダメなんです。自分で自分を否定してはダメ。自分のいいところを伸ばして行くことが大事なんです。それを一緒に見つけましょうというのが私の方針。
絶対に「どうせ私なんか」なんて言わせないと覚悟して向き合います。
今日の試験、素晴らしかったんですよ。みんな一年間の成長がそこにありました。私の生徒も頑張りました、立派だったと思います。誰も「どうせ私なんか」なんて言わないと思います。
人は成長する時期があります。多感な時に、心が柔らかなうちに、たくさんチャレンジして欲しい。
本当に究極のことを言うと、幸せにしてもらうのを、ただ両手を広げて待つよりは、自分で幸せになりに行こう、ということ。苦労してでも、掴んだ時、自分のこと、少しずつ好きになると思います。
親は子供のために無償の愛を注ぐのはおそらくどのご家庭でも見られることだと思います。
でも、残念ながら、そうではない現実を抱えたご家庭もあります。
その子達に、幸せになりに行きなさいと言う辛さったらないです。
親が変わるのを待つ気持ちもわかります。でも、そんなに簡単に人は変えられない。自分が変わった方がいい。
親に対して、変わらない幸せを与えてくれると期待をするのはごく自然なこと。
でも、裏切られ続けるよりは、自分で幸せになった方がいい。人のせいにしなくて済む。
もちろんそれが全ての結論ではありません。人それぞれなので。
心が痛いです。
笑顔でいて欲しいなー。素敵なんだけどなー。私はそれらを大事にしていこう。
これから、です。
とことん寄り添い、時に離れて見守りたいと思います。自立の芽を摘まないように。
これからよ。うん。
全て生徒のことなんだけれども。
重たい重たい午後となりました。
学校ってね、いいところですよ。確かに傷つくこともあるでしょうし、お友達とうまくいかなかったり、いろいろあると思います。
けれども、そこで、学ぶんです。傷付いたことから立ち上がることとか、折り合えるところを見つけることとか。
多感な時期だからこそ、学んで欲しいのです。
上手くいかないことの方が多いかもしれない。でも、生きていく上で、人と関わることは避けられません。
それを学べるのが学校だったりします。
毎日のことですから、日常が出ます。ということは、互いのいいところも、そうでないところもさらけ出すことになります。
そうするとね、合わないなぁと思う人が出てくるんです。当然ながら。でもね、やはり、みんな人なんです。どこか必ずいいところがある。どう認め合っていけるかだと思います。
うちの音高は、それがあるんです。個性が強い生徒ばかりですから、二年生くらいまではなんとなくざわつくこともあります。でも、レッスンとかで忙しくなったり、同じ苦しみを経験する戦友として、認め合うようになります。だから、とっても優しいです。生徒達。
私が再三親御さんにお願いしているのは、「嫌だったら、やめていいのよ。どうする?」とすぐ言わないで下さいということ。その言葉を出すのは、最後です。
少しだけでもいいんです。頑張らせて欲しい。
嫌がるお子さんを見る自分が辛いから、というのは、その子の成長を止めます。すり替えず、共に立ち向かって欲しいのです。
親子で目標を決めて、ここまでは頑張ってみよう、そこに達したとき、もう一回考えよう、と猶予を設けてほしいのです。
すぐあきらめないで欲しい。
粘り食い下がる子供が減りました。どうせ、とか、だって、とか、でも、って必ず言います。私はこれを3Dとずっと言ってきているんですけど(笑)全部言い訳の始まりの言葉なんです。
説明は必要ですよ。でも、説明と言い訳は全然違います。
一番認めていないのは、
「どうせ私なんか」
これは、私、絶対に認めません。
気持ちはわかる。痛いほど。でも、それを言ってはダメなんです。自分で自分を否定してはダメ。自分のいいところを伸ばして行くことが大事なんです。それを一緒に見つけましょうというのが私の方針。
絶対に「どうせ私なんか」なんて言わせないと覚悟して向き合います。
今日の試験、素晴らしかったんですよ。みんな一年間の成長がそこにありました。私の生徒も頑張りました、立派だったと思います。誰も「どうせ私なんか」なんて言わないと思います。
人は成長する時期があります。多感な時に、心が柔らかなうちに、たくさんチャレンジして欲しい。
本当に究極のことを言うと、幸せにしてもらうのを、ただ両手を広げて待つよりは、自分で幸せになりに行こう、ということ。苦労してでも、掴んだ時、自分のこと、少しずつ好きになると思います。
親は子供のために無償の愛を注ぐのはおそらくどのご家庭でも見られることだと思います。
でも、残念ながら、そうではない現実を抱えたご家庭もあります。
その子達に、幸せになりに行きなさいと言う辛さったらないです。
親が変わるのを待つ気持ちもわかります。でも、そんなに簡単に人は変えられない。自分が変わった方がいい。
親に対して、変わらない幸せを与えてくれると期待をするのはごく自然なこと。
でも、裏切られ続けるよりは、自分で幸せになった方がいい。人のせいにしなくて済む。
もちろんそれが全ての結論ではありません。人それぞれなので。
心が痛いです。
笑顔でいて欲しいなー。素敵なんだけどなー。私はそれらを大事にしていこう。
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これからよ。うん。
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声楽家/声楽講師
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ホームページもご覧下さい。末永くよろしくお願い致します。
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