Generalpause
日々の出来事を思うままに、自分の言葉で…
びっしりレッスン!
- 2019/07/25 (Thu)
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今日は朝からずーっとレッスンでした。
なかなかハードな時間割でございました(^^)ただ、何につけても有り難い…。歌の世界に進んでも、仕事が得られるのは一握り。まして、生活していかれるくらいになるには…。
生徒さんたちのおかげ、団員さん達のおかげなのです。だから、レッスンで返していかないと。
どうやったら音楽で食べて行かれますか?と聞かれます。
正直、分かりません。
上手い人が、教えることに長けているかというとそうではないことがほとんどです。なぜなら、出来ないことに対して、なぜ出来ないのかが分からないから。
適材適所。ということだと思います。それなら、もしかしたら、劣等生だった私に出来ることがあるかもしれないと、思ったのが現職へのきっかけでした。
私は、歌一本になって、生活が苦しくても、アルバイトをしませんでした。いつ何時、入るか分からないお仕事に、すぐに対応できるよう、アルバイトは一切しませんでした。きつかったですよ、もちろん。ただ、自宅通勤だったから出来たこと。
その覚悟が、全てだったように思います。
かの、木下牧子先生も仰っていました。何が何でも音楽で食べていくと決めたなら、安易にバイトをしない、と。
私もそう思います。
きついけど、本当に苦しいけど、音楽のお仕事を一つ一つ丁寧に務めて、感謝を忘れず、すぐに「はい」と言える環境を保つ。
それしかないかなと。
やるしかないんです。幸いにも、日本は、続けた人がプロになるシステム。ならば、続けるしかないのです。
孤独です。不安になります。
でもそれに耐えて、信念を持って学び続けて、その時、のために蓄える。
私は、音高卒業生とお仕事をします。若い子です。もちろん、経験もないし、年齢からくる表現力や、忍耐力や、開き直り(笑)は課題です。でも、食べていかれるようにしないといけないと思っています。
幸いにも、声楽は、ピアノ伴奏が不可欠です。まずは、被爆ピアノや私のコンサートで、伴奏をお願いすることから始めています。
ピアノなんて、小さい頃から頑張ってきています。なおさら、食べていかれるようにしないと。
きっかけは、作れると思います。後は、その子次第。
音楽、頑張り続けた先に、プロとして仕事をしていく。
この形が見えないと「音楽は食べていかれないから」と、続ける人が居なくなるんです。それだけは避けたい。
ならば、仕事をシェアしていく。
お母さんになって、育休を取っても、必ず、戻れるようにしたい。
だから、頑張るんです。私が。私はフリーなので、なんとかなる。面倒なしがらみを持たないために、つるまないと決めています。生徒さんのためにも。
まぁ、孤独なことったら(笑)でも、決めたことだからいいんです。
必ず、関わったピアニストも食べていかれる様にする。
森須奏絵さんは、被爆ピアノでお願いしているピアニスト。彼女は、ソルフェージュの生徒でした。当時から礼儀正しく、周りがどんなに砕けて話しても、彼女は必ず敬語を使っていました。ご家庭の躾が行き届いたお嬢さんと記憶しています。
桐朋学園大学に進学するため、ものすごく努力をしていました。見事合格した時は、すぐに連絡をくれて、共に喜びました。
そんな彼女、どこに連れて行っても恥ずかしくない、見習うべき所の多い女性ということもあり、被爆ピアノのピアニストをお願いしました(^^)どこへ行っても、彼女は人気者になります。楽屋も、来た時よりも綺麗にして帰る、というのができる人なので、安心なのです。
時には厳しいことも言いました。私の伴奏者という意識では困る、と。もう、先生と生徒ではないので、と。ものすごく厳しく言いました。目に涙を溜めて…もうどんなに罪悪感に包まれたことか(>_<)でも、それも私の信念。今も、すごく頑張ってくれています。もう何も言わなくても、素晴らしいお仕事ができるピアニストさんです。森須さんの努力と、人柄と、育ちがその理由だと思います。
他にも、梶田法子さん、竹中結紀さん、音高卒業生にピアノをお願いしています。なんとか、素晴らしい才能を持った子達に頑張ってほしい。私にできることは、仕事をシェアすること。
夢のある世界、頑張った先に幸せがある世界にしたいと思っています。
だから、まず私が頑張るのです。はい!
なかなかハードな時間割でございました(^^)ただ、何につけても有り難い…。歌の世界に進んでも、仕事が得られるのは一握り。まして、生活していかれるくらいになるには…。
生徒さんたちのおかげ、団員さん達のおかげなのです。だから、レッスンで返していかないと。
どうやったら音楽で食べて行かれますか?と聞かれます。
正直、分かりません。
上手い人が、教えることに長けているかというとそうではないことがほとんどです。なぜなら、出来ないことに対して、なぜ出来ないのかが分からないから。
適材適所。ということだと思います。それなら、もしかしたら、劣等生だった私に出来ることがあるかもしれないと、思ったのが現職へのきっかけでした。
私は、歌一本になって、生活が苦しくても、アルバイトをしませんでした。いつ何時、入るか分からないお仕事に、すぐに対応できるよう、アルバイトは一切しませんでした。きつかったですよ、もちろん。ただ、自宅通勤だったから出来たこと。
その覚悟が、全てだったように思います。
かの、木下牧子先生も仰っていました。何が何でも音楽で食べていくと決めたなら、安易にバイトをしない、と。
私もそう思います。
きついけど、本当に苦しいけど、音楽のお仕事を一つ一つ丁寧に務めて、感謝を忘れず、すぐに「はい」と言える環境を保つ。
それしかないかなと。
やるしかないんです。幸いにも、日本は、続けた人がプロになるシステム。ならば、続けるしかないのです。
孤独です。不安になります。
でもそれに耐えて、信念を持って学び続けて、その時、のために蓄える。
私は、音高卒業生とお仕事をします。若い子です。もちろん、経験もないし、年齢からくる表現力や、忍耐力や、開き直り(笑)は課題です。でも、食べていかれるようにしないといけないと思っています。
幸いにも、声楽は、ピアノ伴奏が不可欠です。まずは、被爆ピアノや私のコンサートで、伴奏をお願いすることから始めています。
ピアノなんて、小さい頃から頑張ってきています。なおさら、食べていかれるようにしないと。
きっかけは、作れると思います。後は、その子次第。
音楽、頑張り続けた先に、プロとして仕事をしていく。
この形が見えないと「音楽は食べていかれないから」と、続ける人が居なくなるんです。それだけは避けたい。
ならば、仕事をシェアしていく。
お母さんになって、育休を取っても、必ず、戻れるようにしたい。
だから、頑張るんです。私が。私はフリーなので、なんとかなる。面倒なしがらみを持たないために、つるまないと決めています。生徒さんのためにも。
まぁ、孤独なことったら(笑)でも、決めたことだからいいんです。
必ず、関わったピアニストも食べていかれる様にする。
森須奏絵さんは、被爆ピアノでお願いしているピアニスト。彼女は、ソルフェージュの生徒でした。当時から礼儀正しく、周りがどんなに砕けて話しても、彼女は必ず敬語を使っていました。ご家庭の躾が行き届いたお嬢さんと記憶しています。
桐朋学園大学に進学するため、ものすごく努力をしていました。見事合格した時は、すぐに連絡をくれて、共に喜びました。
そんな彼女、どこに連れて行っても恥ずかしくない、見習うべき所の多い女性ということもあり、被爆ピアノのピアニストをお願いしました(^^)どこへ行っても、彼女は人気者になります。楽屋も、来た時よりも綺麗にして帰る、というのができる人なので、安心なのです。
時には厳しいことも言いました。私の伴奏者という意識では困る、と。もう、先生と生徒ではないので、と。ものすごく厳しく言いました。目に涙を溜めて…もうどんなに罪悪感に包まれたことか(>_<)でも、それも私の信念。今も、すごく頑張ってくれています。もう何も言わなくても、素晴らしいお仕事ができるピアニストさんです。森須さんの努力と、人柄と、育ちがその理由だと思います。
他にも、梶田法子さん、竹中結紀さん、音高卒業生にピアノをお願いしています。なんとか、素晴らしい才能を持った子達に頑張ってほしい。私にできることは、仕事をシェアすること。
夢のある世界、頑張った先に幸せがある世界にしたいと思っています。
だから、まず私が頑張るのです。はい!
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Shima
性別:
女性
職業:
声楽家/声楽講師
趣味:
ドライブ、料理、美術館めぐり
自己紹介:
広島で活動中の声楽家です。
ホームページもご覧下さい。末永くよろしくお願い致します。
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